宮崎移住して1ヶ月ちょっと経過しました。
バタバタして、精神的にも疲れていてなかなかブログを更新できませんでした。
やっと生活にも慣れてきたので、今回移住日についての記事を投稿をさせていただきます。
次回は、移住して1ヶ月間での出来事、感じたことを投稿させていただく予定です。
2025年3月21日(金) 移住決行日
とうとうやってきました、移住決行日。
朝10時頃に家を出て、神戸港へ向かいます。
一緒に暮らしている長男・次男はこの日は仕事のため、朝は私が見送る形となりました。
息子達とは一緒に暮らしていても普段そんなに会話があるわけでもないですが、この日の見送るバイバイはやはり寂しかったです。
過去に次男、長女が私のもとを離れていってしまったことに比べたら、辛い気持ちは全然楽でした。

長男に対してはしばらくお金の面で援助するので、将来困らないように自立していってほしいと思うところです。
次男に関しては、元妻の不倫の末結婚した男と養子縁組を組んでしまったのに私のもとへ戻ってきたという中途半端な感じとなってしまっていました。
あれだけ元妻の方へいかないでほしいと言ったのに行ってしまった次男なので「もう知らない」と思うところですが、自分の子供には変わりないので、人生に行き詰まったら宮崎に来て近くや一緒に暮らすのもアリだと考えています。
前日にも次男にその話をしておきました。
息子達は私が見送る形となりましたが、近くに住む私の母親が家に来てくれて見送ってくれる形となりました。
家を出発する前に、一緒に行く彼女のかなさんを迎えに行って車への荷物積み込みを手伝ってもらいました。
7ftもあるチャンチョのサーフボードを屋根積みしました。

サーフボードの屋根積み自体人生で初めてします。
超距離の高速道路移動で不安しかありませんが、あまりスピードを出さずに、ちょくちょく緩んでないか確認しながら行きたいと思います。
出発時間となり神戸港へ向かいました。
母親との別れです。
今までは近くに住んでいていつでも会うことが出来ましたが、遠く離れた宮崎県へ私は行ってしまいます。
今後母親とは数えれるくらいしか会えないでしょうね。
車での別れ際、母親は涙していたそうです。
私は分かりませんでしたが、かなさんは気付いたようです。
親と離れて清々した気持ちはありますが、やはり簡単には会えない距離なので、それを考えると色々と思うところがありますね。
私が子供達との別れが辛かったように、母親も私との別れは辛かったのだと思います。
この子供達との別れ、母親との別れの辛さはしばらく引きずってしまい、この日眠りにつくまで引きずっていました。
途中でサービスエリアに何度か寄りのんびりと神戸港へ向かいました。
ほぼ予定時間通り神戸港に到着しました。
屋根積みサーフボードも無事でした。
今回はさんふらわあで神戸港から大分港まで行きます。
愛犬むさしも一緒のため、初めてウィズペットルームを利用します。

車からペットルームまでへの移動はケージなどに犬を入れていかなければいけません。
簡易的なケージにむさしを入れて、かなさんと一緒に持ち上げて運びました。
部屋は思っていたよりは狭かったですが、寝るだけなので全然問題ありません。
終始むさしはお利口さんでしたが、すぐ隣もウィズペットルームなので、そちらのワンちゃんが吠えるとそれに反応してしばらくむさしも吠えてしまうのがありました。
そこはどうしようもないですね。
カーフェリーは翌朝の7時20分頃到着予定です。
2025年3月22日(土) 移住決行日
翌朝、ほぼ予定通り大分港に到着しました。
しかし、ウィズペットルームの乗客については、下船が他の乗客が降りたあととなります。
だいぶ待たされました。
むさしのオシッコ、ウンチも心配となってきます。
やっと下船させてもらえることになり、部屋から車に移動して車に荷物とむさしを乗せて出発しました。
すぐにむさしがお散歩できるような場所を探して車を止めましたが、時すでに遅し、船の部屋から出て開放的になったのか、車の中でオシッコをしてしまっていました。
私がお散歩へ行って、かなさんがオシッコで汚れた車の処置をしてから宮崎県へ向かいました。
予定していた時間より1時間くらい遅くなりましたが無事に新しく生活が始める家へ到着しました。
この日より新天地で新たな人生が始まりました。